@article{oai:kinran.repo.nii.ac.jp:00000424, author = {末次, 信行}, month = {2020-04-01}, note = {1965年、貝塚茂樹は「甲骨文と金文の書体」というテーマで、殷代後期の書体の変遷について一説を提起する。甲骨文の書風の変化は、最終的に筆写体へ向かい、鹿頭文字と殷代後期の金文は、より筆写体の原物に近いものがあり、さらに筆写体をもとに金文の書体は分化し変化したと結論した。つまり、当時の「識字」者たちの標準的書体は、筆写体であり、「甲骨文と金文の書体」の基底には、筆写文字が常に意識されていたとした。本稿は、この貝塚説を踏襲し、その後の考古学的発掘による成果を加えて、周初までの筆写文字の系譜について述べたものである。, 15}, pages = {133--146}, volume = {16}, year = {}, yomi = {スエツグ, ノブユキ} }